昨日(3月17日・月)、田中雅美さんの講演会に参加させていただきました。 田中雅美さんは、競泳の平泳ぎ日本代表選手として、 1996年 アトランタ五輪 2000年 シドニー五輪 2004年 アテネ五輪 の三回のオリンピックに出場されました。 田中雅美さんはシドニー五輪のとき、女子400mメドレーリレーで日本女子として初のリレー種目でのメダル獲得の快挙を達成されております(第2泳者の平泳ぎ担当)。 つい何か月か前にNHKで放送された田中雅美さんの水泳教室シリーズも私はずっと観て勉強させてもらいました。 今回の講演会は、西南学院(地元は九州の福岡県)の東京オフィス開設1周年を記念しての特別企画でありました。 でも、私は西南学院大学の卒業生ではありません(笑) 読売新聞の広告でこの講演会開催を知りまして聴講を応募しました。 あ、ちなみに田中雅美さんも西南学院大学の卒業生ではありません。 中央大学を卒業されております。 田中雅美さんが中央大学に入学された頃は、水泳部は男子しかなく、その男子たちに混ざって女子1人で男子と同じ練習メニューを泳いだそうです。 今回は『オリンピックで学んだ折れない心の作り方』というテーマで、貴重なお話を披露してくださいました。 すぐ心の折れやすい弱っちぃ精神の持ち主の私には大変興味深い講演会でした。 「“折れない心の作り方”っていう本日のテーマですけど、あの現役選手だった当事、私にその“折れない心”がそなわっていれば、ずいぶんと違ったのになぁって思います(笑)」 「オリンピックはほかの大会と違って魔物が住んでいる、なんてよく言われますが、本当にその通りで、いつもの大会の5倍以上もの本当に大勢の観客の人たちがプールの周りを取り囲んでいます。 その大歓声がビリビリと空気を伝わってくるんです。そうするとですね、例えばレース直前にゴーグルをはめようとする自分の手に感覚がないんです。スタート台に足をかけようとしても自分の身体ではないような感じになりました。 “あぁ、これは、私はかなり緊張しているな”と思いました。 よく水泳選手がレース前に自分の身体をバンバン叩いている仕草を見ることがあるでしょう。あれって、自分の身体を叩くことによって、“これは私の身体なんだ!”って言い聞かせるように自らの身体を覚醒させているんですね」 「私はオリンピックでメダルを獲ることを目標に頑張りました。 でも、三回も五輪に出させていただいたのに(個人競技では)一度もメダルを獲る夢は叶いませんでした。 4位が最高でした。……4位、できれば成りたくない順位ですね(笑)。 こういう言い方をして良いものかどうか分かりませんけれども、4位も5位も6位も、もっと言うなら決勝へ進めなかったとしても同じ事なんですね。メダルを獲れなければ。 メダリストの選手とそうでない選手の違いを私は思い知らされました。帰りの空港で“はい、メダリストの人たちはこちら。メダル獲れなかった人たちはあちらへ”、ってハッキリ分けられるんです(笑) メダリストの選手たちは記者会見やら合同記念撮影があったりしますからね」 「私が4位だった時、3位の外国の選手の人との差がたった指の関節ひとつ分でした。とても残念でした。 その当時、私の身長がもう少し高かったら、と新聞などに書かれたこともありました。 私は水泳界の中でも身長が低いほうなんですね。でも、水泳って身長の高い・低いは関係ないんです。むしろ、背の高い人はそれだけ水の抵抗を受けてしまうのです。だから背の高い人は如何に水を上手くキャッチするかという技術力に優れた人が速いんですね。 私はたった指の関節ひとつ分でメダルを獲り損ねてしまいましたけれども、その頃の私は一所懸命にたくさん頑張って練習してました。 頑張って努力したので後悔はありません。頑張ったからこそ心に踏ん切りがついたんですね。頑張っていなかったら、それこそ今でも後悔していたと思います」 「シドニー五輪の年の私はその前の日本選手権という五輪代表選考会の時が最高にピークでした。予選・決勝と進むごとに記録を塗り替えるほど絶好調だったんです。 でも、それがその年のピークでした。五輪までの4か月間はどんなに泳いでも練習で良いタイムが出せませんでした。 オリンピック本番でも結局、個人競技では不調のまま終わってしまいました。 でも、もう一つ競技は残っていました。“女子400mメドレーリレー”です。 もしも、このリレーでメダルを逃すことがあったら、それはメンバーの中でも私の責任なんだって思ってしまいました。私のせいで負けたらどうしよう、って、とても不安で怖かったです。 でもメンバーの一人の大西順子さんが、この方もバタフライの個人競技で6位に入賞したんですけど、この大西さんが私に言ってくれたんです。 “私たちは個人ではメダル獲れなかったけれども、4人だったら、4人のチカラを合わせたらきっとメダル獲れるよ!”って、そう励ましてくれたんですね。とても心強かったです。 やっぱり、周りの人の励ましって、とても大切でありがたい事なんだなぁって思いました」 「お蔭様で、そのリレーで私たちは銅メダルを獲得することができました。 私たちと3位争いをした相手のドイツのチームとは僅か100分の3秒差でした。本当にとても僅かの差だったんですけど、私たち日本チームの選手から選手への引き継ぎのタイムがどのチームよりも優秀だったんです。 だから、もし引き継ぎがもう少し遅ければメダルを逃していました。 実はリレーが決まってから引き継ぎの練習を私たちは何度も何度も繰り返してやりました。 どうやら、ほかの国のチームってあんまり引き継ぎには重視してないようで練習しないようなんですね。 私たち日本チームは練習をたくさんやったお陰で勝てたんですね。ここでも普段の練習の大切さがいかに大事なのかを身をもって知ることができました」 「くじけそうな時、心が折れそうな時、そういうのって誰にだってありますよね。 でも、そういう時って、“これは私が、私自身が決めた事なんだ! 自分自身が選んだ道なんだ!”って、もう一度、自分の心に語りかけたら、ずいぶんと気持ちが奮い立つと思います」 書いたことは厳密ではないですが、そういう数々の貴重なお話をたくさん聴くことができました。 田中雅美さんは、日本競泳界の中でも屈指の美人さんといわれている御方であります。 確かに田中雅美さんはとても綺麗な人でした。 私は田中雅美さんのその美貌にうっとりしてしまい、気もそぞろで、しばしばお話の内容を聞き損じてしまいそうになりました。 『折れない心の作り方』という講演名でありますが、私の場合はそれ以前に『気をそらさない心の作り方』について勉強したほうがよいのでは?という感じですね(笑) そして、なんと! シドニー五輪で獲得された銅メダルを私は触らせてもらうことが出来ました。 とてもとても貴重なメダルです。大感激であります! (写真撮影も快諾してくださいました。) 田中雅美さん、どうもありがとうございました! |
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