まこっちゃんの好奇心倶楽部 【松戸立志篇】

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zoom RSS 若馬 ドリー・ファンク・ジュニア

<<   作成日時 : 2013/09/11 10:00   >>

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レスリングが五輪の競技種目として残る事が決定しました。

その朗報に天国のジャンボ鶴田さんもきっと喜んでおられることでありましょう。

中央大学のレスリング部所属だった鶴田さんは、日本代表選手としてミュンヘン五輪に出場の経験を持ちます。
その後、全日本プロレスに入団発表。入団してすぐにアメリカに渡りトレーニング修行を積んだ場所がザ・ファンクス(ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンクのファンク兄弟)のジムです。

ザ・ファンクス。

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この人たちをおいて、日本のプロレス・ファンにとってお馴染みの「兄弟レスラー」は他におりますまい。

弟のテリー・ファンクは漫画『キン肉マン』に登場するテリーマンのモデルになったぐらいの超人気者のプロレスラーでありまして、兄弟でも弟のテリーがどちらかというと華々しいイメージがあったかもしれませんが、私は兄のドリー・ファンク・ジュニアのほうが好きでした。

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父は、やはり有名な外国人プロレスラーでありましたドリー・ファンク・シニア
その息子でありますから、ドリー・ファンク・ジュニアと呼ばれました。
「若馬」、「グレート・テキサン」あるいは「アマリロの星」の異名を持つドリー・ファンク・ジュニアは、とにかく強くて“試合巧者”の代表的な外国人プロレスラーでありました。

1969年、フロリダ州において“荒法師”ジン・キニスキーを破りNWA世界ヘビー級王座を獲得しました。
弱冠26歳の若さで世界最高峰の第46代NWA世界ヘビー級チャンピオンとなったドリー・ファンク・ジュニアは「4年3か月間」の長きに渡って、その世界最高峰のベルトを守り続けます。

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「4年間も世界王者で居続けた!」ということが、当時少年だった私に“世界最強の実力者”という強烈なイメージを植え付けました。
私は後にも先にも、こんなに長期政権を築いたプロレスラーを他に知りません。

その間には、日本でもジャイアント馬場選手、アントニオ猪木選手、坂口征二選手とも防衛戦を行っています。
特に1969年(昭和44年)の対アントニオ猪木戦(大阪府立体育会館)、そして対ジャイアント馬場戦(蔵前国技館)の防衛戦はいずれも引き分け。この二つの試合は称賛の善戦・名勝負としてプロレス・ファンの間では今でも“伝説”として語り継がれています。

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洗練された実力者の若き天才プロレスラーのドリー・ファンク・ジュニアは、当時絶大なる人気を誇った少年漫画『タイガーマスク』にも登場し最強のレスラーとして描かれています。
漫画版とアニメ版の『タイガーマスク』は最終回が異なりますが、漫画版では主人公のタイガーマスクが最後に対戦したレスラーが、世界王者のドリー・ファンク・ジュニアその人です。

後に「全日本プロレス」の常連外国人レスラーとなったドリー・ファンク・ジュニアは、日本人レスラーだけでなくアブドーラ・ザ・ブッチャー、ビル・ロビンソン、スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディなど多くの外国人プロレスラーとも名勝負を観せてくれました。
たった一度だけ、インターナショナル・ヘビー級の王座決定戦においてテリー・ファンクと“夢の兄弟対決”が行われました(兄ドリーが勝利し、インター王座獲得)。

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弟のテリーのほうが荒くれ者のイメージが強く、一方の兄ドリーのほうが大人しい紳士的なイメージを持たれていますが、このドリー・ファンク・ジュニアこそがいざ怒った時には恐ろしかったです。
ラフ・ファイトになったら、ドリー・ファンク・ジュニアは徹底して相手を許しませんでした。

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“指導者”としても後に超一流と呼ばれるほどになる多くの若者を育てました。
その門下生にはスタン・ハンセン、ボブ・バックランド、テッド・デビアス、ディック・スレーターなどがいます。
先にふれたジャンボ鶴田選手や天龍源一郎選手も本場アメリカでドリー・ファンク・ジュニアの指導を仰ぎました。
三沢光晴選手らのコーチとしても一役買っておりました。

2009年には弟テリーと共にWWEのプロレス殿堂入りを果たしました。
その時のプレゼンターは“アメリカン・ドリーム”のダスティ・ローデスでありました。


あれは確か私が中学3年生の頃だったと記憶しておりますが、学校の休み時間に級友のK君を相手にプロレスごっこをして遊んでいた時の話です。
私は「スピニング・トーホールド!」と叫んでK君にドリー・ファンク・ジュニアの得意技であるその足技を仕掛けました。
すると、ちょっと離れた位置に居た熱烈なるロック音楽ファンのM君が、「えっ! 何? スピニング・トーホールドだって?」と、とても興味深げに近寄ってきました。

「今、スピニング・トーホールドって言ったよね?」

どうやらM君は、日本のロックバンドの「クリエイション」が演奏する曲の曲名として先に『スピニング・トーホールド』を知ったようです。
ドリーとテリーのザ・ファンクス兄弟の入場テーマ曲である『スピニング・トーホールド』は、実はプロレスの技の名前である事を私はM君に教えてあげました。

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ちなみに、スピニング・トーホールドという技は一見簡単そうな地味な技のようにも思えますが、これは意外と仕掛けるのはタイヘンなのです。

寝転がった相手の片足の膝部分に自分の片足をかけて、その自分の片足を軸にグルグル回って相手の足を捻り続けるというこの技は、私みたいに体幹バランスのしっかりしていない者にとってはとても難易度が高い技なのであります。

実際に私は級友K君にスピニング・トーホールドを仕掛けた際に、私自身がグラッとふらついてしまい、逆にK君のもう一方の片足が放ったキックを受けてしまい、私はかなり遠くへ飛ばされて床に倒れ込んだ苦い経験があります(笑)

「スピニング・トーホールド」には、そういう思い出があります。





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